こんにちは。二代目べあぶろ中の人です。
本日は1年前の記事です。
キャリぷらでは、就職活動を頑張る学生のためにESの添削や模擬面接が出来たり、それだけでなく無料でご飯も食べられちゃいます。
でも、キャリぷらを作ったたなべあーの真の思いは何だと思いますか?
実は「子どもたちが大人の階段を一段昇れる場所」になるようにという願いが込められています。
ラクして就活を終えていくための場所ではないということです。
キャリぷらはただの就職支援の場ではなく、将来社会にでたときのために、学生と社会人のギャップをできるだけ埋められる場所にしたい
、そんな風にも言っていました。
キャリぷらは本当に唯一無二の存在で、今思えば、だからこそ私は使い続けていたんだと思います。
たなべあーの日記(2017.3.19FB投稿記事より)
20%の商品が80%の売上を上げて、
80%の商品が20%の売上を上げる。
とはプレートの法則(80:20の法則)だが、
2%の学生が98%の「いいね!」をして、
98%の学生が2%の「いいね!」をする。
とは肌感覚だが、遠からず学生についての現実だ。
消費者か提供者かなら消費者で、
与えられる人か与える人かなら与えられる人。
己も社会も知らぬ、愛すべき未熟な人たちだ。
感謝の表し方も、貢献の仕方も、
その他生きていくうえで大切になるそのいろいろを、
ただ知らないからやらないか、
知ってはいても自信がなくてやらないか、
もしくは単純に面倒臭いからやらないか、
それとも後回しにしてうっかりやらないか、
そんなこと考えたこともないほどに、
ただただ無邪気なお子さまなのか。
いずれにしても、
学ばずとも、動かずとも、
その日を生きのびることができる。
そんな、
無条件に「守られる」「与えられる」べき存在、
それが「子ども」。
そして学生たちの多くは未だその「子ども」のままだ。
そのこと自体に文句はないし異論もない。
どころか、積極的に肯定しているつもりだ。
だからこそ私は、
キャリぷらをつくるし、運営するし、維持もする。
しかし、ただの良い人になるつもりはない。
個人的にはそこをまったく志向していない。
知らぬまま、気づかぬまま、勇気を持たぬままに、
子どもたちは引きずられるようにして就活に臨む。
どころか、そのまま社会に出られるからこわい。
知らなければ、学ばなければ、動かなければ、
変わらなければ彼らはこの先一体どうなるのか?
そこに危機を感じているからキャリぷらは厳しくもする。
面倒くせーなと思いながら、少しだけ、私は厳しくする。
キャリぷらは学生のためにつくった場。
だからこそ学生を甘やかさない。
提供者の責任を、
与える側の視点を、
感じて知って考えることができる機会でありたい。
そして願わくば、
「子どもたちが大人の階段を一段昇れる場所」
でありたい。
社会に出てからまたそうしてやっていくための、
その練習がしっかりとできる場所でありたい。
就職活動を楽して早く越えてくための場ではなく、
そのためのテクニックを教えるための場でもなく。