こんにちは。二代目べあぶろ中の人です。
2017年7月11日でキャリぷらは6周年を迎えました。
就活をする学生が自由に無料で使えるフリースペース。
キャリぷらは学生のための「場」です。
キャリぷらを運営する株式会社日本キャリアセンターの理念は「すべては学生と日本の未来のために」です。
そう書けば素晴らしいですね。
しかし、一方では、
「金にならない」「飯が食えない」「寝る時間がない」
という劣悪な環境を受け入れる覚悟がなければ作れなかったし、ここまで継続してこれなかったという現実もあるようです。
それでもたなべあーはキャリぷらを作ったし、そのキャリぷらも6周年を迎えました。
本当に正しいと思うこと、必要だと思うことだけをする、なんていうのは生半可な気持ちでは出来ないですし、誰にでも出来ることではありません。
だからこそ、それを貫き通している、そして自分でも胸を張ってそうだと言えるたなべあーが私は本当にかっこいいと思います。
まで書いてたなべあーに叱られました。
ただ誉めるだけはだめ。
もっと批判的に見て書きなさい、と。
だから少し批判して、未来に向けての希望を書きます。
キャリぷらに訪れた学生の約90%はまたキャリぷらに訪れます。
それほど学生にとって魅力的な場所なんです。
でも、「金にならない」「飯が食えない」「寝る時間がない」キャリぷらの裏側を見ると学生は今まで以上に有り難みを感じ感謝すると思いますが、それと同時に残念に思うと思います。
つまり、「お金になってほしい」「ご飯を食べて欲しい」「しっかり寝てほしい」。
キャリぷらの運営が非常に大変なことは理解出来ます。
でも、正しくて必要なものだからこそ、これからも存在すべきなのです。
大好きなキャリぷらがこれからも在り続けるためには、キャリぷらのビジネスモデルがより強固なものになって、裏側が「劣悪な環境」でなくなる必要があると思います。そして、今、まさにそうなりつつあることをなんとなく肌で感じています。
批判というか、私の願いを書きました。
私もこれから長期インターンを通じて、がんばって営業するつもりです。
そうすることで少しでもキャリぷらの発展に貢献したいです(•̀ᴗ•́)و ̑̑
というわけで、ちょうど一年前、
5周年を迎えた夜に、
内省に暮れるたなべあーが、
ひとり寂しく書いた投稿をどうぞ。
たなべあーの日記(2016.7.12FB投稿記事より)
キャリぷら5周年の夜はコンビニパスタ。
風呂に湯を溜めながら食う。
独りだ。
今の自分にはふさわしい。
皮肉ではなくそう思っている。
うち「キャリぷら」は、
どこよりも多くの学生が利用してきたと思う。
そして、どこよりも学生を金に変えなかった。
どこよりも学生対応に時間を費やしてきたし、
どこよりも学生の自主的な成長を促してきた。
それだけはどこにも負けない自負がある。
そこにこだわり紛れもなく全力を注いできた。
まさにすべてを捧げて。
断言できる。
躊躇なく。
だからここまで多くの学生が来るんだろうし、
これだけ多くの大学からも支持されてきた。
曲がりなりにも東京にもできたし、
なによりこうして6年目を迎えることができた。
そこは客観的に見ても評価できる。
自画自賛で恐縮だがそう思う。
ある種、常人の為せる業ではない。
でも足りなかった。
なにが足りなかったのか。
それは多様性に対する理解と受容性だ。
そしてそれは、
独善的で偽善的な私の態度と心の構えゆえだ。
金にならなくても、本当に必要なものがつくりたい。
金にならなくても、正しいと思うことをしたい。
金にならなくても、そんなこと気にしない。
飯が食えなくても、既存のビジネスモデルはしない。
飯が食えなくても、誰かがこれをやらなきゃいけない。
飯が食えなくても、そんなの我慢すりゃいいだけだ。
寝る時間がなくても、寝なきゃいい。
寝る時間がなくても、関係ない。
寝る時間がなくても、死にゃしない。
そんな私の独断と偏見で、
優しさゆえの厳しさに偏重するあまり、
厳しさゆえの優しさをないがしろにしてきた。
その結果が今の当社であり、そして私だ。
金にならない、飯が食えない、寝る時間がない会社に、
集まる物好きはいないしいたとしても長続きはしない。
改めて書くようなことでもなかった。
自明の理だ。
良くも悪くもそうで、変わる時期にきたと思っている。
概ね人は私ほど頑丈ではないし、私もいずれは衰える。
猛烈に反省している。
切実に。
だから今、ひとりコンビニパスタを食う。
自業自得の味を噛み締めながら。
ここからの5年はより良く変えていく。
仕事も、そしてプライベートも。
キャリぷらも、株式会社日本キャリアセンターも。
本当の意味で強くて優しい組織を目指す。
すべては学生と社員と日本の未来のために。