不完全は完全を目指すからそこに成長が生まれる。
完全を目指すには自分が不完全であることを知っている必要がある。
さらに自分が不完全であることを隠さず人に晒せば成長のスピードは速くなる。
知ることや晒すことがときに難しいのは、その理由のひとつはそこに恥を感じるからである。
そんなときには「不完全もまた完全である」と知れば楽になる。
完全などない世の中では、不完全こそある意味完全な存在だといえる。
つまり不完全が完全を目指すというのは、既に完全である不完全が別の不完全である完全を目指すと言い換えることができる。
であれば不完全が完全を目指すという行為の目的は、決して不完全さを解消することではない。
では目的は何か?
それは今より成長するためである。
不完全は既に完全だから、不完全を知ることや晒すことは決して恥などではない。
既に完全である不完全がさらにまだ自分を成長させようというのだから恥じることなく誇るべき事実である。
人にはみな等しく価値がある。
その意味で自分の価値を知り認めることは大切なことだ。
だが、それは成長の可能性を摘む理由にはならない。
自分の価値を認めながら、成長していこうではないか。
2012.10.24
(2012.10.26加筆)