能力的な理由にせよ、時間がないとか資金がないとかそういった類の物理的な制約があるにせよ、なんらかの障壁や足枷により「できない」という絶望的な状況に追い込まれる経験は、変化や成長を遂げるための格好の機会と成り得る。
私の過去を振り返ってもそうだった。
自分の将来や今についていつも考えるようになったのは、貧乏な母子家庭で育ったから。
中学受験で国立に入ったのは、直前に私立に行く金がないと告げられたから。
学生時代に2年半路上生活をしたのは、大学受験に失敗したから。
就職活動をトコトンやって軒並み内定をたたき出せたのは、私には他に何もなかったから。
前職で支店を立ち上げることができたのは、人や時間などのリソースが不足していたから。
起業後自転車に乗り街角でボランティアをしたのは、実績、顧客など全てがゼロからだったから。
キャリぷらを作り維持するのは、自分ひとりが学生のためにできることなど限られているからだ。
結局のところ、
不便さや不自由さとは、そのようなメリットをもたらしてくれる点において最高に優れた環境といえるかもしれない。
メリットとは、言うまでもなく考え行動し成長することを余儀なくされるというメリットだ。
今の自分のままでは「できない」ということを、正面から理解し受け入れるに足るだけの逆境こそが、いつも私の成長を加速させてくれたと感じている。
2012.10.18
(2012.10.21加筆)