ここ数年、悩みに悩んで考え抜いた結果決めました。
その判断を揺るがぬものとして、不退転の決意で臨むために書いておきます。
その昔なら宇宙戦艦ヤマトが好きだった。
砕け散ったが最後、助かりようもない宇宙の果てで、
人類のために戦う姿に自分もこうありたいと幼心に憧れた。
映画ならアルマゲドンよろしく自らを犠牲にして地球を救うというような、
自己犠牲を伴う正義に激しい共感を覚えた。
こういった感性や価値観がいいとかわるいとか、
そんなところに一元的な答えはない。
しかし、事この7年と少しの間の当社の経営に限れば、
それは「間違いだった」と言うことができる。
今ならはっきりとそう言える。
私が何かに取り組む際には、前述したような価値観が大きく影響してくる。
だから当社日本キャリアセンターの経営やキャリぷらの運営においても、
その特徴は色濃く表れているし、むしろその根幹を成しているとさえいえる。
その特徴とはなにか?
それは次の2つのキーワードで示すことができる。
ひとつが「自己犠牲」、そしてもうひとつが「公の利益」だ。
まず1つめの「自己犠牲」。
私は何事においても、物事に取り組む際には自己犠牲が前提となる手法をとりがちだ。
しかも、相当に「過度の自己犠牲」だと自覚している。
圧倒的なリソース不足の中では、役に立つのは自分の身ひとつである。
だからこそ自分を極限まで使い倒す。
置かれたその境遇ゆえに、幼い頃から身に染み付いた考え方だ。
「やる」か「やらない」かなら「やる」しかない。
後ろはもうないから前にでるしかない。
不安とか大変とか嫌だとか言っていられない。
他に使えるものは何もないし、誰の助けも得られない。
それならば自分がやるしかない。
だからどこまでもストレッチする。
こういった特性は、ゼロからイチをつくるような状況下でその力を最大限に発揮する。
ともすれば「欲しがりません勝つまでは」的思考と行動を招くことにもなりかねないが、
そうした理不尽さも受け入れて消化して前に進むことができる受容性のある強さも便利だ。
だから、部下や社員にもスピードを重視して敢えて十分な説明を行わないことや、
一部だけ見せて全部は見せずに仕事をやらせるといったこともしてきた。
私が若いころ、そうした環境の中で考えながらやってきたことが、
自分自身の成長に役立ったと思えることを彼らにもやってきた。
そのことも、間違いだったと今は思っている。
こうしたことに、私自身は慣れているから特に苦にならない。
しかし、一緒に働く人、生計をともにする人にとっては決して穏やかではない話だ。
前者なら社員がそうだし、後者なら時期によっては妻、場合によっては恋人がそうだ。
「やってられない」そう考えるようになっても仕方がないことだ。
次に2つめの「公の利益」。
これは稲盛和夫さんの影響も大きい。
京セラやKDDIといった大企業を一代で作り上げた偉人、
今ならJALを再建した人と言ったほうが伝わりやすいだろうか、
私の尊敬する人だ。
その稲盛さんの言葉に「動機善なりや私心なかりしか」
というものがあって、私はその言葉が好きだ。
動機は善か?世のため人のためか?
本当に自分の利益のためではないか?
半年自問自答して参入を決め、作った会社が今のKDDIになった。
根底にあるのは利他の精神で、私はその姿勢になぜか激しく共感している。
私の取り組みの多くも、私欲ではなく公欲がベースになっている。
当社事業やキャリぷらという場のあり方などは、
まさにその最たるものといえるだろう。
でも、これがいけなかった。
いや、これ自体は悪くはなく、むしろ良いことだと思う。
正確に言えば、この2つの特徴の組み合わせが最悪だった。
「自己犠牲」のうえに成り立つ「公の利益」だから、
もちろん公の中に自分は含めて考えない。
その自分と歩みを同じくする仲間も、
やはり公の中には含めて考えなかった。
必然的に仲間たちも私と一緒にストレッチすることになる。
時と場合によっては過度のストレッチを強いられるが、
それは私個人の私利私欲のためではない。
「公の利益」のためである。
しかも、前述したようにその人の成長のためにしていることもあるから、
一部自分たちも「公の利益」の中に含められていたりもするのである。
言い訳のしようがないし、文句の持って行きようもない。
公欲を盾にした厳しさが、結果逃げ道のない苦しみを生み出してきた。
そこまでは予想外の出来事ではなかった。
それを乗り越えてこそ個人の成長があり、
そしてそれが組織の強さに繋がるはずだった。
難しいだろうがそれがやりたかった。
そしてやれると思っていた。
だが、できなかった。
誰ひとりとして乗り越えることはなかった。
結果、組織は疲弊し、私も疲弊した。
利用学生、参画企業、取引大学、すべてが増え続けている。
先の見通しは明るい。
が、いつも人がいない。
取り巻く環境は常に機会に溢れている。
が、やる人がいない。
踊り場で足踏みをする状態が続いてきた。
この3年、まさに手を替え品を替えて、
様々な角度から人生は私に語りかけ続けた。
変わりなさい、と。
だから、もうやめた。
人のマネジメントにおける私のこだわりを捨てた。
これまでの私のやり方ではダメだ。
最近になって、ようやく見切りをつけることができた。
私ひとりでやってるうちは美談で済んでも、
人を巻き込めばもうそれは悲劇、良くて喜劇にしかならない。
自己犠牲を伴う公の利益を「会社」として追求するのは無理だった。
その結論ですっきり納得できた。
だからはっきりと言える。
これまでの私の会社経営は間違っていた。
もうこれまでのマネジメント含む経営手法はやらない。
起業して8年目にしてやっと、
今、当社はまともな会社に生まれ変わろうとしている。
既にもうはじまっている。
その成果は、春までにはっきりと見える形で出していく。
私自身はあと3年でこの会社の経営からは身を引くと決めている。
それまでにできることはすべてやる。
すべては学生と「社員と」日本の未来のために。